ブッダがさとりをひらいた、インドの北東部にあるブッダガヤという街のチベット寺院に泊まったことがある。
部屋の前には中庭が見おろせる広い廊下があって、夜はそこにイスをだして座り、すずみながら星空をながめていた。
そこに宿泊していた、人なつこく、英語が堪能なブータンの僧と話していたときに、夜風があまりにも気持ちよかったので思わず「あーきもちいいー」というと、それはどういう意味なんだと聞かれたのでこたえると、それはブータンでは「クシュモー」というのだと教えてくれた。
「きもちいい」がほんとうにクシュモーかどうかは、記憶があいまいなんだけれど、もしかしてそれは違うときに話した食べものの名前かもしれないけれど、きもちよかったその夜の風のことはよく覚えている。
じぶんの性の感覚が「きもちいい」ということはとても大切です。
この「きもちいい」という感覚には濃淡があって、感覚の耳を澄まさないととらえにくいような、繊細な「きもちいい…」もあれば、わかりやすくはっきりとした「きもちいいっ!!!」もあります。
どの濃さの「きもちいい」にもココロとカラダをひらいて、うけとることができたら、性感覚の肥沃な土壌がつくられていくような気がします。
女性がじぶんの性のきもちよさを、相手に全面的にゆだねてしてしまうと、あなたがきもちよくしてくれないから、きもちよくないんだと、パートナーである男性へのコンニャローな気持ちがフツフツとでてきてしまいます。
大切なじぶんの性の舵取りを相手まかせのまかせっきりにするというのは、運次第の銃弾多めのロシアンルーレットとなりかねないので、ご注意ください。
もちろん、性行為での女性のきもちよさへの男性の関わりはとても大きいですし(逆も言えると思いますが)、むかしなら、そのまま相手が悪かったねーで終わっていたことかもしれません。
でも、ここは性科学が隆盛を極める21世紀。
「きもちいい」だって、得ようと思ったら、得るための情報とテック、もしかしたら、わるーい誘惑もうごめいているウェルカムワールドですよ。
じぶんの「きもちいい」にとって必要な情報獲得へのヒントがほしい方はメールにてごれんらくください。
相手にじぶんの性の舵を取らせ、座礁しそうな舟にただぼんやりと座っているだけではなく、じぶんでじぶんの舵をとることが大切なのは、性だけの話じゃないですよね。
人生のほかのことでもおなじでしょう?
まずはじぶんでじぶんの「きもちいい」感覚に主体的に取り組むという、あたり前くらいにあたり前すぎることからはじめることをおすすめします。
「きもちいい」ということは、歯を食いしばって、一生懸命がんばってということとは相性がよくありませんので、遊び心と好奇心をもっておすすみください。
きもちを向けられた「きもちいい」という感覚は、拡張していきます。今まできもちいいと思わなかったことがきもちよくなるようなことも起こってきます。
じぶんの感覚をカンタンに見限らないようにしたいものです。
人生の質にも関わるようなこの「きもちいい」の反対の「きもちよくない」とくに「いたい」(本人の性嗜好の場合はのぞく)はぜったいに避けてほしい。
解決できた、もしくはパートナーからの解決しようという真摯な協力が得られる場合以外は、性行為はしない方がいいです。
原因をきちんと探って、相手に変えてほしいところがあるのならば変えてもらい、自分で変えられるところ、もしくは治療が必要な場合はそれをしたほうがいい。
痛いままの苦痛な行為をがまんしてつづけていると、ふたりの関係にも到底よくありませんし、なによりじぶん自身との関係があやうくなってしまいます。
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じぶんの「きもちいい」、相手の「きもちいい」、ふたりで「きもちいい」という単純なことばだけれども、生命の根っこにあるような、この与えられた感覚をおざなりにせず、わかりやすい目印とすることで、おたがいにきもちよさを与えあえる関係をつくることができたらいいなと思います。
そうしたら、それを与えてくれた相手への愛おしさが増すし、それを感じられる自分への愛おしさが増すので、ふたりの関係性や人生のほかの面でもいい影響がでるような気がしています。
どうぞクシュモーな日々を。
写真はムスリムの方が多い街、ハイデラバードのお気に入り、皮うすクリスピーなチキンサモサ。いつも粉から皮をうすうす均一につくるのがむずかしくて、なかなかうまくいかないんだけれど、今日はいい感じ。市販の餃子の皮しか勝たん。
spice+arts やましたのぶこ
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