子どもたちが小さかったころ、よく読んでいた「だっこだっこねえだっこ」という絵本。
ねぇだっこを、「めぇ〜だっこ」といってクスクス笑っていた子どもたち、かわいかったな。
おとなだって、「だっこー」っていいたいときあるよね。
抱きしめられることで、ほっとしたり、満たされるということ、いっぱいある。
50歳すぎたってそう。わたしのことです。
こどもの心の安心や安定、親とのつながりを感じることができるだっこが、おとなになったら必要ない、、、なんて、そんなばかな。
親にだっこされて、愛情のエネルギーを補給して、外の世界に向かうことができる子どもたちのように、
おとなたちだって、そばにいるパートナーに抱きしめてもらったら、ずいぶんと外への扉を開くのが楽になるんじゃないのかな。
電車で、カサカサに乾いた、フキゲンなおじさんたちをみると、抱きしめられたら、もう少しゴキゲンになるんじゃないのかなと思ってしまう。
あなたに大切なパートナーがいるとしたら、その人を、そんなカサカサの存在にしちゃわないようにしましょうね。
わたしも気をくばります。
5-6年前に、アメリカ発のcuddler(カドラー)、cuddlist(カドリスト)のことを動画で知った。
クライアントをセクシャルにではなく、服も着てます、抱きしめたり(cuddling カドリング)、髪をなでたり、手をにぎったりしてヒーリングをするセラピスト。老若男女のセラピストたちがいる。
これ、日本にも来るかな?と思っていたけれど、まだ来ていないみたい。
性産業内でそれっぽいのはあるみたいだけれど。あとは、添い寝フレンズ、、、か。
抱きしめてもらいたいときに、そばいにるパートナーにその気持ちを伝えることができるかどうかというのは、とても大事なことで、
それは、率直なじぶんのきもちを感じて、それを相手にスッと明け渡すことができる関係性ができているのか、どうかということにつながっていく。
近くにいるのに、ふれたいときにふれたい、抱きしめてもらいたいときに、そうと言えなくなってしまっているのだとしたら、関係性を見直すときがきているのかもしれません。
極端にスキンシップが少ない、日本のような国では、
ふれあいたいという欲求を、セックスがしたい、ということでしか表現できないという場合がある。
とくに男性は、だっこーよりも、やりたい!の方がいいやすいのかもしれない。
わたしたち、もうすこし、スキンシップのグラデーションと語彙を増やした方がいいですね。
セクシャルなことから遠のいている、ふたりならとくに、そっと抱きしめるということは、親密さを保つためにも、たいせつなことです。
ことばで伝えることも大事だけれど、たくさんのことばをつくすよりも、抱きしめあうことで伝えられること、解決できることがあるからね。
からだがもつ力をもっと信じたい。
カドリングのひとつとしてspooningという、スプーンのように重なりあうスタイルがあるんだけれど、お互い同じ方向を向いて横たわり、後ろから抱きかかえるスタイル。
寝る前に少しだけでも、このspooningをしてから、寝るというのもいいと思うよ。
だっこだっこねえ、だっこっ、てね。
写真はインドでよく食べていた、チベタン餃子、腿。ちがいます。momo。
今日はチキンモモ。刻んだシャンツァイをたっぷりいれる。モモダレは、ニンニク、チリ、トマト、レモン、お酢、しょうゆ、砂糖。お人形でspooning、伝わんないね。
spice+arts やましたのぶこ
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